2016年01月25日

友人のインド式結婚式

 今日24日日曜日、大寒波が日本列島を覆い九州も積雪があった。
前日から大阪の空模様を心配していたが、
奇跡のように大阪の日中は晴れ間が広がっていた。

 10年前に、インド舞踊公演を観に来てくれたのをきっかけに話をするようになった
あきよちゃんの結婚11年目の結婚式だった。
当時の彼女の様子をよく覚えている。
小柄で私より20歳程も若い女の子が北インド・ビハール州という
インドで最も貧困の村で 学校に行けない子どもたちのための無料の学校
ニランジャナスクールの支援をしていると言う。
当時はまだインド全体の識字率も低かった。
南インドでも学校に行けず、いや行かせてもらえず家のために働く子どもたちを
沢山見ていた。
まだ5、6歳の子どもなのに家庭の事情のために働くことを受け入れている姿に
心が痛んでいた。
何か手助けが出来ないものか・・・と思っていたが実行には移せなかった。
しかし、それをしている、これからも支援を続けていくと
希望にあふれたパワフルな声と眼差しを向けてくるあきよちゃんに
私が出来ない分も頑張ってほしいと思い その後出来ることを協力するようになった。
すでに、ニランジャナスクールを始めたシッダルタさんと結婚をしていて
妻としてシッダルタさんと共にビハール州の子どもたちを支援していた。
その資金を捻出すべく 大阪の四ツ橋にインドレストランshama(サマ)を始めて、
また、日本から支援する団体ニランジャナ・セワ・サンガも立ち上げていたが
若さの勢いとその分、危なっかしい面や不安を隠せない様子も垣間みていた。
まずは、ビハール州の現状とニランジャナスクールのこと、そこに通う子どもたち、
村社会の状態などを日本で知ってもらう機会を増やして
寄付金をあつめたり 支援者を増やすことを喜んでお手伝いさせてもらっていた。

 始めは20名程だった子どもたちは今では800名ほどになっている!!
インド経済が変わっていく中で村社会で生きてきた親たちの意識も変わってきている。
言わば、劇的な変化の中でニランジャナスクールの役割は大きかったと思う。
日本での支援者も増えていたが、ここ2、3年は日本経済の影響もあり
当初ほど寄付が集まらなくなっているらしい。
インド社会も変わろうとしている。
今、これからに向けての試行錯誤が必要な時期になっている。

 ここにきて、結婚11年目にしてまだ結婚式を挙げていないため、
インド人の女性が妻になる時の儀式の一つである
額の上から頭(髪の毛の方に)シンディーという赤い粉を塗っていない。
そのため、結婚しているのにプジャという祈りの時に夫人だけに許されるシンディーを
してもらえないのだった。
あきよちゃんはその為にも結婚式をすることにした。
あきよちゃんらしい決断だし、この時期にそれを行うことは何かの覚悟を感じた。

 場所は、高津宮。
まずは、宮司さんによる正式参拝が行われた。
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それから、高津宮の向かいにある報恩院という不動明王が祀られているお寺で
あきよちゃんとシッダルタさんが信仰しているクリシュナ神の信者さんたちによる
まさにインド式結婚の儀式が恙無く執り行われた。
ほとんどインドで行われるそれと変わりがない程の立派なものだった。
ただ、今日はなんと言っても大寒波が来ている日。
青空は広がっていたのだが 気温は0度!!
野外での儀式に震える人が多かったのは言うまでもない。
あきよちゃんにいたっては、インドのサリーに素足の状態。
ガタガタと小刻みに震えながらも静粛に神々の祝福と結婚の報告をする姿は
いつものパワフルを越えた力強さを感じた。
素晴らしい多くの祝福を共有させていただいた空間だった。
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披露宴は高津宮内の末広の間で行われた。
全てが手づくりの温かさと優しさに包まれていて
二人をこれからも支援しようとする多くの心、つながる魂が集うとても素敵な披露宴☆
あきよちゃんの信念が多くの人を動かして 協力していく。
わたしもその中の一人として
これからも出来ることをしっかりとサポートしたいと思った。
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posted by manami at 00:31| Comment(0) | 日記
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