2017年05月19日

「〜日本に初めて来たインド人、婆羅門僧菩提僊那を継承する〜」記念公演に行きました

2017年日印友好交流年記念事業
「〜日本に初めて来たインド人、婆羅門僧菩提僊那を継承する〜」
記念公演&インド武芸カラリパヤット奉納公演
奈良公演:東大寺総合文化センター金鐘ホール
平成29年5月14日(日)に行きました。

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インド総領事

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開会の儀式(インド総領事、二月堂住職、大安寺副住職、奈良県庁の方、主催者)

小島裕子(やすこ)さん(国際仏教学大学非常勤講師・金剛院仏教文化研究所主任研究員)の
「インド僧菩提僊那(ボーディセーナ)と東大寺ー大仏開眼供養をめぐってー」
講演会のお話はとても興味深かったです。
菩提僊那の詳しい経歴はあまり残っていないそうなのですが、
出生地は南天竺と伝えられる。
(しかし、南天竺がインドのどこに当たるのかは不明)
天平宝字4年(760)2月25日奈良大安寺において遷化。
来朝から25年あまり、57歳の生涯(704ー760)
と、以上です。
しかし、「東大寺四聖御影」の中に菩提僊那が描かれています。
他には、聖武天皇、行基僧正、良弁僧正、です。
この聖武天皇や行基の資料から菩提僊那のことを知ることになります。
その内容は想像の域にもなるので、諸説あるという点から
さらにロマンを広げることが面白いです。
特に、インドから文殊菩薩(行基)に会いに中国(山西省五台山)に行ったのですが、
文殊菩薩は日本(耶麻台国)にいるとしり 日本に向かい難波の浦にたどり着いた。
というものです。これだけではありませんが。。。

また、大安寺を住まいにしていたことは大安寺の資料からも明らかです。
初めて来たインド人婆羅門僧が、大仏の開眼の筆を取る。と残されているのも明らかです。

今も昔も、連日多くの観光客(近年は外国人観光客も!)修学旅行生などが
大仏様を見に、手を合わせに訪れていますが、
このことを知っている人はまだほとんどいないのではないでしょうか。

特に、インド人はこのことに深く感銘してこれを継承し、
後世にも伝えなければならいとして4、5年前からこの催しが始まりました。

以下、小島さんの資料より
「天平の記憶 天平8(736)年5月18日(旧暦)ある天竺(印度)の僧侶が来日した。
婆羅門僧正菩提僊那Bodhinenaである。
後に、東大寺の毘盧遮那仏(大仏)の開眼を行った導師として、
その名が広く世に知られることとなる。
来朝から千二百五十有余年、
わが国の歴史の中で語り伝えられ、今も伝承の中に生き続けている 菩提僊那。
ここにその一端をご紹介し、僧正の遺徳を偲ぶ(継承の場)としたい。

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以上。

後半は、毎年インド政府ICCRから派遣されるインド芸術の団体による公演があります。
今年は、ケララ州発祥の武術カラリパヤットの団体が来日していました。
私は、コーチンに滞在中にカラリパヤットを見ましたが
同じくその迫力に圧倒されました。

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帰りは大仏様にお詣りして

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奈良でインドカレーを食べて帰りました。

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posted by manami at 02:10| Comment(0) | イベント
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