そこまでの道のりも左右には広々とした大地が広がっているだけです。
でも、黄色いお花・菜の花畑が見えてきました。
この時期は何もありませんが畑なのです。

しかし、第2次世界大戦の時、ビルマで日本に敗れたイギリス軍が撤退して
インパールに飛行場を作り、そこで力を蓄えていました。
日本軍の目的はこの飛行場を攻め落とすためにインパールに侵攻したと
こちらのガイドさんは説明していました。
当時は イギリス兵は防空壕などできつい生活をしていたとのことです。
しかも、山本支隊(歩兵隊)がこのPAPAL飛行場を攻めてきたのは雨季にあたり
土地は滑ってドロドロでその湿気と暑さと菌や蚊などにも悩まされ死者が増えたそうです。
結局、日本はここで失敗して大きなダメージになったとのことです。





でも、こののどかな土地を見ていてその当時のことなど想像がつきません。

この後は さらにビルマ国境の山の上に向かいました。
山は一つではないのです。山々が連なっています。
よくまー、ビルマ側からここまで歩いてきたものだと、びっくりしました。
道路の途中でバスから降りたのですが、、、
ガイドさんは、そこから山頂を指差して「あの山頂に建物や人が見えますが、
あちらにカメラを向けてはいけません。ここでカメラを出すのもやめたほうがいいです。」と
言いました。一瞬、緊張しました。
そこは、まさにビルマ国境の山頂で当時、前島と名付けられていた日本軍のキャンプだったそうです。
今は、アッサムライフが駐屯して国境警備をしています。
私たちの横を行き交う車にはライフルを持った軍隊の人が乗っていて
少し異様な感じがありました。
(もちろん この辺りの写真はありません)



その後、少し離れた三角の山にきました。

当時、山本支隊によって1日だけその山頂に日本の旗が立ったそうです。
でも、すぐにイギリス軍により撤退。
今は景色の良い山頂なのですが、当時の写真は木々がなく激しい戦闘の様子が写されていました。



この辺りでは、2〜3日のうちに800名が死んだそうです。
イギリス軍はその遺体を引き取りに来たそうですが、
日本軍は来なかったので地元の人たちがビルマまでは運んだそうです。
その後は、山を降りてランチです。
地元の人しか行かないようなローカルな食堂に案内されました。



メニューは地元の人が普段食べている定食です。
南インドの定食とは見た目も違いますが、味も違います。
ほとんどスパイスの味はしません。
でも何かのスパイスは効いているのです。
優しい味で日本人の口にも胃にも合うと思いました。




南インドだったらスパイスまみれの味付けですが、ここは塩味程度。

ほとんど味がしない優しい塩味。



揚げものの時に使うらしい。

食後に、店の女の人がおでこに書いてある印を私たちにも書いてくれました。
これはビンディー(赤い丸い印)と同じ意味だそうです。
形がヴィシュヌ神の信仰を表しています。


Kakching Gardenに行きました。
小高い丘を綺麗に手入れした公園です。



その上からの眺めも気持ちよかったです。


ここにはシヴァ神の寺院がありました。


そして、カラスも神様として祀る祠もありました。


ここで出会った地元の方々、一人は有名な歌手で、もう一人は食品マーケットのオーナーさんだそうです。
帰りにガイドさんが家に招待してくれました。
一際大きく立派な家でした。

壁の色が奇抜です。

ガイドさんとお母さんと奥さん。

奥さんが作ってくださった黒米のお菓子がとーっても美味しかったです。
こちらでは黒米を牛乳と砂糖で煮たこのような食べ物(お菓子・スイーツ)をよく食べるそうです。
