2010年05月31日

田ノ浦遺跡発掘報告会って!!!

あの 上関原発計画のある田ノ浦湾は
不思議で 魅力的な所ですね〜。
瀬戸内の海の宝庫と言われている所以が・・・
そういうことなのです。
縄文の昔から やはり光があたるスポットだったようです!

私が祝島に行ったときも、
実は 柳井駅で降り 
一番感じたのが「ステキなエネルギー」でした。
地図を見るとそこら辺には 遺跡や古墳があるはある〜。。。
目的は祝島でしたが 気持ちはスゥーッと魅かれていました。
でも、当初は原発反対の祝島島民たちの応援!!
とそのことのみへのフォーカスになっていたので
遺跡のことへとなかなか結びつきませんでした。

でも、最近は長島と言う半島になっている地域の
原発推進の人達と近づこうとするカヤック隊の
活動にも刺激され 
長島のことに関心を持つようになっていたのです。

と、、、
「祝島茶会」のMLに下記の投稿があり
早速、みなさんにも知ってもらいたいと思って
転載します☆

田ノ浦にもっとスポットライトをあてましょう。
ここを埋め立てるなんて!!!
やめて〜あせあせ(飛び散る汗)
もっと 調査していろんなことを知りたいよぉ〜。

以下は転載文です。

今回は先月の25日に開かれた「田の浦遺跡発掘報告会」の報告です。
田の浦からは西日本最多の出土品を誇る縄文遺跡が出てきました。正確には6000年前の縄文時代から、弥生時代、古墳時代、室町時代のものも出てきたということでした。
つまり日本人の祖先がずっと長い長い間、ここで暮らしてきたのです。

縄文時代には集めてきたドングリを保管しておいた穴が13ヵ所見つかり、その近くに建物の柱を立てた穴がたくさん見つかりました。土器の他にナイフや漁に使うおもりなどの石の道具が出てきました。今でもインドあたりでは普通に見られるものとよく似た木の実などをすりつぶす道具やアクセサリーまであったようです。

それらの石はほとんどが加工しやすい姫島産の黒曜石が使われていたことがわかりました。
カヤックすら無い大昔から海を渡っていたのです◇

稲作が始まった弥生時代の土器には、貝殻を使って木の葉の模様を施していました。

ちょっと待ってください。じゃあ、近くで稲作をやっていたんじゃないですか?

説明をしてくれた山口県埋蔵文化財センターの所長さんに質問したら、あわてて「それはない!近くは湿地だったから、稲作はできません」と断言されました。

えーっ!だってさっき弥生人は稲作やってたって言ってたじゃん?穂を刈り取るための道具も出てきたんでしょ?
今一晩中近くでピコピコなってる機械あたり、日本最古の田んぼだったんじゃないの?
ろくすっぽ掘りもしないで、弥生時代に田んぼがあったかどうか、どうして断言できるの〜?

県が前もって調査してるから、と言うけど、何かあやしい。
だって県がやった調査は所長さんも答えられないぐらい前のことなんでしょ。こうして予想もしなかったものがたくさん出てきたら、もう一度調査し直すのが普通じゃないですか?

私の疑問に納得行く答えはとうとう得られずに、日本人の古代の暮らしを明らかにするかもしれない田の浦遺跡は、保存状態が良くないからという理由で、あっという間に埋められてしまいました●

以上です。
posted by manami at 00:27| Comment(0) | 祝島
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: