2010年09月06日

神戸新聞「映画「祝の島」 纐纈あや監督に聞く」

神戸新聞に以下の記事が掲載されたとのことですよ。
かなり詳しい内容で 嬉しいです黒ハート

以下 転載します。

http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0003397117.shtml

周防灘に浮かぶ上関町・祝島(いわいしま)(山口県)。周囲12キロの小さな島に原発の誘致話が持ち上がったのは今から四半世紀も前の1982年。500人の島民は二分され、工事が始まった今も反対運動は続く。纐纈(はなぶさ)あや監督(35)の「祝(ほうり)の島」は原発に揺れる島の暮らしを丹念に追った記録映画だ。(黒川裕生)

 1982年、当時の町長が地域振興のため、祝島の対岸にある同町長島地区に原発誘致を表明。83年に祝島漁協が「魚や環境に影響する」と反対決議したが、町議会は85年に誘致を決議し88年に正式に中国電力に誘致を申し入れた。2009年、工事が始まった。

 纐纈監督は03年、映画会社のスタッフとして、作品の上映会で初めて島を訪れた。島民の表情は、ニュースで見聞きした反対運動やシュプレヒコールとは違い穏やかで、「反対派が闘う島」といった先入観は打ち砕かれた。「彼らが守りたいものとは何だろう」

 08年7月から始まった撮影でカメラを向けたのは、古代から航海の安全を祈る神職がいたとされ、神霊の島として万葉集でも詠まれた島の歴史や風土だ。苦労して先人が開いた棚田、タイやヒラメに恵まれた豊かな海。島民の7割は65歳以上で、小さな小学校の児童は3人だけ。一人暮らしのお年寄りは毎晩集まって茶を飲みながらテレビを見て過ごすが、独居の暗さはみじんもない。

 纐纈監督が驚いたのは、長期間家を空けるときも鍵をかけないという島の習慣だった。よその家にもずけずけ入り込む濃密すぎるほどの人間関係。小学校の行事には、家族でもない島の人たちがこぞって参加する。小さな島で島民は力を合わせて生きていた。

 夜明け前、漁船に乗り込む老齢の漁師はつぶやく。「祖先が守った海や山が私たちを育ててくれた。次は私たちが子孫に残してやる番だ」。棚田を耕す老人は語る。「米さえあれば生きられる。だから子や孫のために棚田を築くんだ」。言葉の端々に島に脈打つ歴史がにじむ。

 つつましやかな生活は、原発騒動で断ち切られる。映画には登場しないが、少数の推進派に向けられる視線は冷ややかだった。「肩を寄せ合って生きる島の暮らしは、原発と相いれない」。そんなメッセージを込めて纐纈監督はカメラを回した。

 反対派も一枚岩でない。着工という現実に切り崩されるように、反対の姿勢を貫く島民も少しずつだが減っているという。28年続く定例デモは、今や「原発反対」ののぼりを掲げ、島内を練り歩くだけという形ばかりになっている。力強さや緊迫感からはほど遠いが、お年寄りたちはどこか楽しんでいるようにも見える。纐纈監督の目には「結束を確かめるための儀式」に映ったという。

 纐纈監督は「受け継がれてきた島の暮らしを淡々と続けることこそが、原発反対の意思表示。彼らが『原発は要らない』と訴える理由に目をこらし、耳を傾けてほしい」と話している。

 11〜24日、神戸アートビレッジセンター(TEL078・512・5500)で上映。12日には纐纈監督の舞台あいさつもある。

(2010/09/04 14:48)
posted by manami at 00:37| Comment(0) | 祝島
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