ノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイさん(17)のスピーチです。
読んで、感じて、考える。そして行動。ということ必要だと改めて思いました。
少し長いですが、是非読んでみてください☆
■「マララ・ユスフザイさん スピーチ全文」
(ハフィントン・ポストより引用)
慈悲あまねく慈愛深きアラーの御名において。
国王、王妃両陛下、皇太子、皇太子妃両殿下並びにノルウェー・ノーベ
ル委員会のみなさん、親愛なる姉妹兄弟のみなさん。今日は私にとって、
素晴らしく幸せな日です。
ノーベル委員会がこの貴い賞に私を選んでくださり、身に余る光栄です。
みなさんの絶え間ない支援と愛に感謝します。今も世界中から届く手紙
やカードに、お礼申し上げます。みなさんの親切や励ましの言葉に元気
づけられ、刺激を受けています。
両親の無条件の愛に感謝します。父は、私の翼を切り取らず、羽ばたか
せてくれました。母は、がまん強く、いつも真実だけを語ろうという気
にさせてくれます。これこそ、私たちが強く信じている、イスラムの真
のメッセージです。
そして、私に、自分を信じ、勇敢に立ち向かうよう鼓舞してくれた、す
べてのすばらしい指導者の方々に、感謝しています。
この賞をいただく最初のパシュトゥン人、最初のパキスタン人、そして
最年少であることを、とても誇りに思います。また、まだ弟たちとけん
かするようなノーベル平和賞の受賞者も私が初めてだと確信しています。
世界中が平和になってほしいと思っていますが、私と弟たちにとっては、
まだ先のことです。
また、長年、私が生きてきた時間の2倍もの時間を、子供の権利を擁護
してきたカイラシュ・サティヤルティさんとともに、この賞を受賞でき
ることを光栄に思います。
私たち、インド人とパキスタン人がともに活動し、ともに子供の権利と
いう目標を達成することができることを誇りに思います。
親愛なる兄弟姉妹のみなさん、私は、パシュトゥン人のジャンヌ・ダル
クともいわれる「マイワンドのマラライ」にちなんで名付けられました。
「マララ」という言葉は「悲しみにうちひしがれた」とか「悲しい」と
いう意味ですが、それに「幸福」の意味を加えようと、祖父はいつも
私を「マララ、世界で最も幸せな少女」と呼んでくれます。
今日、この大切な目的のために、私たちが共に闘っていることを、とて
も幸せに思います。この賞は、私だけのものではありません。教育を望
みながら忘れ去られたままの子供たちのものです。平和を望みながら、
おびえる子供たちのものです。変化を求めながら、声を上げられない子
供たちへの賞なのです。
今、私は彼らの権利のために、そして彼らの声を届けるために、ここに
立っています。今は、彼らを哀れんでいるときではありません。教育の
機会を奪われた子供たちを見るのを、これで最後にするために、行動を
起こすべきときなのです。
私は、人々が私のことを、いろんなふうに呼ぶことに気づきました。
ある人は、タリバーンに撃たれた少女と。
またある人は、自分の権利のために闘う少女と。
そして今は、「ノーベル賞受賞者」とも呼ばれます。
弟たちからは「うるさくて、偉そうなお姉ちゃん」と呼ばれているので
すが…。
私が知る限り、私はただ、全ての子供たちが質の高い教育を受けること
ができることや、女性が平等な権利を持てること、そして世界の隅々ま
で平和であることを願う、熱心で頑固な人間でしかありません。
教育は人生の恵みの一つであり、生きる上で欠かせないものです。この
ことを私は、17年間の人生で経験しました。(パキスタン北部の)スワ
ート渓谷にある故郷では、私はいつも、学校に通って新たなことを学ぶ
ことを愛していました。何か特別なことがあると、私は友達と一緒に(
植物染料の)ヘナで手を装飾したのを覚えています。花や模様を描くか
わりに、私たちは数式や方程式を書いたものでした。
私たちは教育を渇望していました。なぜならば、私たちの未来はまさに
教室の中にあったのですから。ともに座り、学び、読みました。格好良
くて清楚な制服が大好きでしたし、大きな夢を抱きながら教室に座って
いました。両親に誇らしく思ってもらいたかったし、優れた成績をあげ
たり何かを成し遂げるといった、一部の人からは男子にしかできないと
思われていることを、女子でもできるのだと証明したかったのです。
ですが、こうした日々は続きませんでした。観光と美の地であるスワー
トが突如として、テロリズムの地と化したのです。
400以上の学校が破壊され、女性たちはむちで打たれました。人々が殺
されました。そして私たちのすてきな夢は、悪夢へと変わったのです。
教育は「権利」から「犯罪」になりました。女の子たちは学校に行くの
をやめさせられました。しかし、私をとりまく世界が突如として変わっ
たとき、私が優先すべきことも変わったのです。
私には二つの選択肢がありました。一つは黙って殺されるのを待つこと。
二つ目は声を上げ、そして殺されることです。私は後者を選びました。
声を上げようと決めたのです。
テロリストたちがいう正義を、ただ傍観することはできませんでした。
すべての権利を認めず、無慈悲に人を殺し、イスラムを悪用するものだ
ったからです。私たちは声を上げ、そして彼らに言おうと決めたのです。
「コーランでアラーが『一人の人間を殺すことは、全人類を殺すのと同
じである』とおっしゃっていることを学ばなかったのですか。ムハマド
は自分を傷つけるな(自殺をするな)、他人もだと言っています」。そ
して、こうも言いました「コーランの中で最初に出てくる“イクラ”と
いう言葉を知らないのですか」と。これは、「読め」という意味です。
2012年、テロリストは私たちを止めようとし、バスの中で私と今ここに
いる友人を襲いました。しかし、彼らの考えや銃弾が勝利することはあ
りませんでした。私たちは生き延びたのです。そしてその日から、私た
ちの声はさらに大きくなっていったのです。
私が自分の身に起こったこと話すのは、珍しい話だからではありません。
どこにでもある話だからです。多くの少女に起こっている話なのです。
今日、私は彼女たちの話もします。私はオスロに何人かの「姉妹」を招
きました。彼女らはパキスタンやナイジェリア、シリア出身で、この話
を共有しています。私の勇敢な姉妹であるシャジアとカイナート・リア
ズは、あの日スワートで私と一緒に撃たれ、彼女らも悲惨なトラウマを
経験しました。ひどい暴力と虐待を受けたパキスタン出身のカイナート・
スームロは、兄を殺されましたが、屈しませんでした。
マララ基金の活動を通じて出会った少女たちも一緒にいます。彼女たち
も今では、姉妹のようです。16歳の勇気あるメゾンはシリア出身で、今
はヨルダンの難民キャンプで暮らし、テントからテントへと回って少年
少女に勉強を教えています。そして、アミナの出身地であるナイジェリ
ア北部では、少女たちが学校に行きたいと望んだというだけで、ボコ・
ハラムがつきまとい、脅し、そして誘拐しているのです。
私は、たった身長5フィート2インチ(157.5センチ)の、単なる一人の
女の子、一人の人間に見えるかもしれません。
ハイヒールはいて5フィートというのでもよければ、ということなんで
すけれど…。
しかし、私の意見は、私一人の声というわけではなく、大勢の人の代弁
者なのです。
私はマララです。そして、シャジアでもあります。
私はカイナート。
私はカイナート・スームロ。
私はメゾン。
私はアミナ。
私は、学校に行けない6600万人の女の子なのです。
今日、私は自分の声をあげているわけではなく、6600万人の女の子の声
を代弁しているのです。
なぜ女子は学校にいくのかを、なぜ教育は特に女子にとって大切なのか
を、人々が聞いてきます。しかし私は、なぜ彼女たちでは駄目だとされ
るのかという質問のほうが、より重要だと思います。なぜ彼女たちが学
校に行ってはいけないのでしょうか。
今日、世界の半分では急速な進歩や発展がみられます。しかし、未だに
何百万もの人々が戦争や、貧困、不正、という昔ながらの問題に依然と
して苦んでいる国もあります。
紛争も見られます。何千という無実の人々が命を奪われています。子供
たちが孤児になっています。
ガザやシリア、イラクでは、多くの家族が難民となっています。アフガ
ニスタンでは、自爆テロや爆弾で、罪のない人々が殺されています。
アフリカの多くの子供たちは、貧しさのために教育に触れることができ
ません。ナイジェリア北部には、今も学校に行く自由がない女の子たち
がいます。
カイラシュ・サティヤルティさんが言われるように、インドやパキスタ
ンなどの国の多くの子供たちが、社会的なタブーから教育の権利を奪わ
れており、または、幼くして結婚させられたり、児童労働にかり出され
たりしています。
私と同じ年で、とても仲がいい級友の一人は、いつも勇敢で自信に満ち
た女の子で、医者になることを夢見ていました。しかし、夢は夢のまま
なのです。彼女は12歳で無理やり結婚させられ、息子を産みました。た
った14歳のときです。彼女なら、とてもいいお医者さんになれたと思い
ます。
ですが、なれませんでした。なぜなら、女の子だったからです。
彼女の話こそ、私がノーベル賞の賞金をマララ基金に捧げる理由です。
マララ基金は、女の子たちがどんな場所にいても質の高い教育を受けら
れられるようそして、声をあげるのを助けるものです。基金の最初の使
い道は、私の心が残るパキスタンで、特に故郷のスワートとシャングラ
に、学校を建てるために使われます。
私の村には、今も女子のための中学校がありません。私の願いであり、
義務であり、挑戦、それは、私の友達や姉妹たちが教育を受けることが
でき、そして夢を実現する機会を手に入れることができるようにするこ
となのです。
これは私にとっては出発点であり、立ち止まる場所ではありません。全
ての子供たちが学校にいるのを見届けるまで、私は闘い続けます。
親愛なる兄弟、姉妹のみなさん。マーチン・ルーサー・キングやネルソ
ン・マンデラ、マザー・テレサ、アウン・サン・スーチーのような、変
革をもたらした偉大な人たちも、かつてこの舞台に立ちました。
カイラシュ・サティヤルティさんと私のこれまでの歩みと、そしてこれ
からの旅もまた、変化を、それも持続的な変化をもたらすものであれば
と願っています。
私の大きな希望は、(子供たちの)教育のために闘わなければならない
のは、これが最後になってほしい、ということです。
この問題をきっぱり解決しましょう。私たちはすでに、正しい方向にい
くつものステップを踏んできています。今こそ躍進するときです。
もはや指導者たちに、教育がいかに大切なのかを説くときではないので
す。彼らは既にそのことを知っており、自分の子供を良い学校にいれて
います。今は行動を起こすときなのです。指導者たちにはぜひ、団結し
て、最優先事項に教育を掲げてほしいと思います。
15年前、世界の指導者たちは地球規模の目標「ミレニアム開発目標(MD
Gs)」を決めました。その後、いくらかは進展しています。学校に通え
ない子供の数は半分に減りました。とはいえ、世界が重点的に取り組ん
でいるのは初等教育(の拡充)ばかりですし、成果が全員に行き届いた
わけではありません。
来年、2015年には、世界の指導者たちが国連に集い、次の一連の目標で
ある「持続可能な開発目標」を策定します。これは、何世代にもわたる
世界の目標になるでしょう。
世界は、基本教育だけで満足していいわけではありません。世界の指導
者たちは、発展途上国の子供たちが初等教育だけで十分だと思わないで
ください。自分たちの子供には、数学や科学、物理などをやらせていま
すよね。指導者たちは、全ての子供に対し、無料で、質の高い初等・中
等教育を約束できるように、この機会を逃してはなりません。
非現実的だとか、費用がかかりすぎるとか、難しすぎると言う人もいる
でしょう。不可能だとさえいう人もいるかもしれません。しかし、今こ
そ世界はより大きく(このことを)考えるときなのです。
親愛なる兄弟姉妹のみなさん。いわゆる大人の世界であれば理解されて
いるのかもしれませんが、私たち子供にはわかりません。
なぜ「強い」といわれる国々は、戦争を生み出す力がとてもあるのに、
平和をもたらすことにかけては弱いのでしょうか。なぜ、銃を与えるこ
とはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。
なぜ戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難し
いのでしょうか。
現代に暮らす中で、私たちはみな、不可能なことはないと信じています。
45年前に人類は月に到達しおそらく火星にもまもなく降り立つでしょう。
それならば、この21世紀には、全ての子供たちに質の高い教育を与えら
れなければなりません。
親愛なる姉妹兄弟のみなさん、私たちは動くべきです。待っていてはい
けない。動くべきなんです。政治家や世界の指導者だけでなく、私たち
全ての人が、貢献しなくてはなりません。私も、あなたたちも、私たち
も。それが私たちの務めなのです。
みなさん、これで終わりにしようと決めた最初の世代になりましょう。
誰もいない教室も、失われた子供時代も、無駄にされた可能性も。
男の子や女の子が子供時代を工場で過ごすのも、もうこれで終わりにし
ましょう。
女の子が幼いうちに強制的に結婚させられることも、戦争で子供の命が
失われることも、子供が学校に通えないことも、これで終わりにしまし
ょう。私たちで終わらせましょう。
この「終わり」を始めましょう。今、ここから、ともに「終わり」を始
めましょう。
ありがとうございました。
☆昨年の国連でのスピーチの動画
https://www.youtube.com/watch?v=iak1X8VedW0